「鎌倉時代、春日大社の境内には興福寺の僧侶が、春日の祭神に国家安泰を祈願する建物があったといいますが、明治初期の神仏分離令でほとんどが壊されました」
「花山院弘匡宮司が祝詞で国家安泰などを祈り、続いて興福寺の森谷英俊貫首が読経を行いました。春日大社では、藤霞殿を神仏の垣根を超えた、祈りを捧げる施設などとして、活用していきたいとしています」
《備考》
☆神宮寺
神宮寺(じんぐうじ)とは、日本で神仏習合思想に基づき、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂。別当寺、神護寺、神願寺、神供寺、神宮院、宮寺、神宮禅院ともいう。
別当寺は、神社の管理権を掌握する場合の呼称と考えられる。宮寺は、神宮寺を意味するほかに、石清水八幡宮寺や鶴岡八幡宮寺のように、神祇の祭祀を目的とし、境内には神社のほか仏教施設や山内寺院が立ち並び、運営は仏教僧・寺院主体が行った、神仏習合の社寺複合施設または組織をいうこともある。